仕事の愚痴が減った訳
最近、仕事の愚痴が減った。読み返すとそれで時間が無くなってしまうので読み返してないけど、たぶん、この世の終わりだ、みたいな勢いで愚痴を書いている。
以前ほどはてなブログを読み漁ってないし、愚痴も書いていない。第2子が生まれたとか、ゲームが楽しいとか、ツイッターの犬垢で満足しているとか考えられるが、一番大きな原因は仕事がある程度こなせるようになったからだ。
なぜ、今までこなせていなくて、今こなせるようになったか。
要因はこれも大きくふたつ。ひとつは、丁寧に仕事をするようになったこと。もうひとつは自分に合った仕事がふられるようになったこと。そして、そこそこ仕事をこなせるようになったがための弊害も今、感じている。ちなみに私は42歳のおっさんです。はい。
仕事を丁寧にするようになったきっかけは、フミコフミオ氏の若者に向けた転職サイトや就職サイトに書かれた文章だ。フミコさんのスタンスは仕事はクソつまんないけどやらなければ生きていけないので、やってこうぜというスタンスに感じていてすごく好感を持っている。その中の一文に「せめて丁寧にやろうと思っている」みたいな一文があって、そうかー、とそれで行動を変えたわけではないけど、なんとなく刺さった感があった。
そして、10歳くらい下のTさんの仕事っぷりをみつつ、一緒に仕事しつつ、あー、こういう風に進めるといいのかー、と思うところも多々あり、私の仕事の仕方は矯正されていった。
具体的には成果物の確認、作業の進め方の確認を怠らなくなり、エビテンスを内部でも細かく残すようになった。
今までは、「作業スピード > 作業の正確性」だったのが「作業スピード < 作業の正確性」に変わった。これは私の作業がリリースに近くなったこと、会社の規模が大きくなって、上司たちが、他の部署に展開する作成物にも目を光らせるようになっていたのに効果てきめんであった。0エラーが重宝されるこの国の文化では時間がかかっても質よりもスピードよりも、何より「ミスがない、突っ込みどころがない」仕事のほうが評価されるのだ。これは私の部署や立場の変化から得たグレートな開眼であった。
そして、自分に合った仕事がふられるようになったこと。私は基本的に人付き合いが苦手である。なので、客先に出るのはあまり好きではない。特に、上司や同僚が、議事録の質や発言に目を光らせている状況ではさらに緊張してしまう。
そして、この緊張や不安が結構なストレスになると、振り返ると思う。
会社の流れや部署的に上流工程を握るというコンセプトで私はなんとなく「ディレクターもできないといけませんよね。。。」と言っていたが、ある時期から「プログラムをやりたい」というようになり、上長もそれを理解してくれ、客先に出る仕事はなくなり、今はjavascriputとCSSをメインに作ることになった。CSSは簡単に見えるが、簡単なゆえに管理が大変という側面がある。それと同時に本格プログラマーはHTMLとCSSに疎い人が多いという不思議な今の状況もあり、私はなんとなく必要とされるポジションになりつつある。
そんなこんなで私は今、仕事にそこまで大きいストレスや不安を抱えなくなったのだ。
そして、不安がなくなると同時に勉強をあまりしなくなった。これはまずい。。。Tさんは朝早く出社して本をいつも読んでいる。Tさんはフミオ氏がいう、ホワイト企業で意識高く仕事が好きな反吐が出そうな人、に近い。それを倒す訳でも、ついていかなきゃいけないわけでもないけど、技術力は必要なのである。
それは、私が「プログラムをやりたい」と言ってしまったつけとか、責任とかである。