日々記憶伍番地

ただの日記です。誤字脱字多いです。スンマヘン。

技術的特異点とふたりの子供を持とうとしている話

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娘も大きくなった。とはいえ4才。でも成長が凄まじい。

 

そして奥さんが熱望した二人目も不妊治療が実り無事にいけば9月に誕生する。

 

愛犬も元気によってくる。

 

幸せな家族に一見見えるし、結婚に至るまでと今日までを話すと順調だね、とよくいわれる。

 

順調って何だ?

 

私は未だ脳みそのおくすりを飲んでいる。それはそれはマメに飲んでいる。ちょっと調子よくなくなると薬を飲む。減らない。今のお医者に見捨てられたらもう終わりだ。

 

私のスペックはちょっと今の会社では見劣りする感があり、給料を下げられる可能性も大いにある。ジリ貧。

 

正直、私の風景からは独身、もしくは子供がいない夫婦でマンションなんかに住んで、夫婦ガッチリダブルインカムで資産を増やしている人のほうがよっぽど順調に見える。

 

子供がいるほうがリスクが高すぎるのだ。でもふたり目が生まれようとしている。こうなったら、なるべく子供といる時間を楽しもうと思うのだ。順調かどうあれ、贅沢な話だ。子供を持ちたくても持てない人もいるわけだし。

 

その、崖っぷちの中で手にしているこの特殊な状況を楽しもうと子供が嫌がらないうちは家族で寝たいと思っていたが、いかんせん家が手狭だ。それでぎゅうぎゅうになるかもしれないけど、その方向で考えて、奥さんに話していたら、義母に私が寂しいから一緒に寝たいんだって、と話して笑ってたらしい。

 

「寂しいから」そんな認識なのかと愕然とした。奥さんは私が定年まで今の年収を家に持って帰って、子供が無事に育ち、この家は無事に行くと思っているのか。自分の年収や能力を棚に上げてそんな楽観視よくできるなと腹が立ったのでとりあえず発散のために書いた。

 

最近のテクノロジーの進化が凄まじすぎるというのは誰もが持つ感覚ではないだろうか。機械が人類の知能を超えるシンギュラリティも2045年と予測される。あとざっくり25年。今の世の中の感じからすると、私は生きている可能性が高い。 すでにこれから大きな変化が山程起きると感じさせる機械、技術が山程出てきている。

 

そんな世の中を子供をおぶって渡っていかなくてはならないというのに、よくのうのうとこの経験が当たり前みたいに思えるな、というのは私が悲観的すぎるのだろうか。