日々記憶伍番地

ただの日記です。誤字脱字多いです。スンマヘン。

100日後に死ぬワニのもやり感を言語化してみる

100日後に死ぬワニのもやり感を言語化してみる。

 

漫画家なんだからクリエイティブでお金を払うのは当然!というのはすごく大人の意見としてうなずける。しかし、あの最終回の後ですぐにいきものがかりとコラボしているYouTubeがつぶやかれた瞬間、む?、と思い、メディア展開のPRを見て、ぐぬぬぬ、となったひとりである。その思いを言語化したい。

 

この漫画は非常にメッセージ性が強い作品性だからこそ、終わった瞬間のPR、読者への囲い込みで、そのメッセージは読者ではなくお金に向かっていたと感じてしまったのだ。メッセージ性が高くそのメッセージに共感していた心は、急にお店を広げたワニ君に戸惑ってしまった。

 

好きだったアイドルがマイナーなときは愛想がよかったのにメジャーになってファンに対する態度が変わってしまったような感覚に近い気がする。
女性が私ではなく体目当てだったのね!というのに近い気がする。
美人に飲みに誘われて保険のセールスをずっとされたらその女性に対する目は変わるのに近い気がする。

 

私にはこの感覚が一番大きかったが、もっとこのもやっと感は複合的な要因があると思う。

 

展開が早すぎた。これも大いにあると思う。死にましてござーい、という芸みたいだし、最終回が余韻を残すような終わり方だったのに余韻を楽しむ暇なく展開が始まってしまった。PRが緻密でこれはいつから準備されていたんだ?と思わせてしまったのもあると思う。いきものがかりがビッグネームすぎて混乱。これは奥さんが言っていた。でも私もちょっと思った。電通の影がちらつくのも同じ感覚なのだろう。テレビに取り上げられる回数が増える感じも納得になってしまう。twitterユーザーの性格。これもある気がする。へー、で済ませられない人間が多い気がする。なんか言いたがりが集まる場所だし。ほかにももっともっとあると思うが自分が思いつくのはこのくらい。

 

ちなみにインスタでもワニ君の漫画は公開されていて、炎上は全くしていなかった。なぜならPRをしていない様子だから。でも同じようにPRしていたらインスタでの反応はどうだっただろうかというのはすごく興味深い。

 

私は100日目を楽しみにしていて、検索なんかしていたので、偽物のワニ君がサイバイマンに自爆攻撃を食らってヤムチャみたいに死ぬ漫画を見て、え、こんな終わり方?と思ったりしていた。本物を見たときは、あ、4コマの体裁を崩してきたんだ!すごい!と思ったが内容は???だった。桜はきれいだと思った。すぐにリプライを見てああ、そういうこと、なるほどねー、と感心してたら怒涛のPRが始まっていた、という感じだった。

 

この商業展開がどのくらい成功するのか知りたいのはやまやまだが、結果は知れないのが残念だ。