日々記憶伍番地

ただの日記です。誤字脱字多いです。スンマヘン。

無事故という奇跡

さらにフミコ氏の本の話をしてしまうのである。

 

正直、ブログで似た感じの記事を見た気がするが、「死ぬまでハンドルにしがみつきたい」というのは今の良識の下にある本能をむき出しにした胸のすく言葉だった。

 

私も25年無事故である。私はペーパーの時期が20年近いので走行距離はすごく少ない。しかし、この何年かすごく車を運転するので、無事故、というのは奇跡的なことに思える。私が無事故なのは運が良かった。という側面がすごく大きい。

 

そのよく運転するようになった数年で思うのは、法定速度を守って無理な運転をしなければ、まあ、事故らないな、ということである。実は私が脱ペーパーだったころはスピードを出しがちだった。急発進急停車が多く、一緒に乗っていた妻に怒られたり運転が荒い!とたしなめられることが多かった。

 

何回目かの免許の更新。講師の話を聞いて、スピード出すリスクがでかすぎる。と心の底から思った。ノーリターンハイリスクである。その時から、私はスピードを出すことより、車をいかに正確に操縦するか、というところに楽しみを見出すことにした。カーブの曲がり方。車線変更時の白線にそって機械のように正確に右折レーンに流れ込む。ブレーキでいかに衝撃を少なくするか。そんなところに神経を張るうち、スピードを出すのが怖くなった。

 

おそらくフミオ氏もそんな、正確に運転することに喜びを感じるタイプに思える。実はこれは仕事の仕方にすごく通ずるものがあるなー、と思うのである。

 

法定速度を守って、無理な運転をせず、かつ事故ってしまう要因は「不注意」がもっとも大きい要因だと思う。あれー、ペットボトルの蓋が開かないなー、ドカン。なかなか、聞きたい曲が出てこないなー、ドカン。うーん、この交差点のさきは右だっけーナビどっちだー、ドカン。これは全部、私が事故りそうなシチュエーションだ。おそらく、事故らない人は「不注意」がすごく少ない。

 

そして、僕はよくサイドミラーを壁とか電柱にぶつけてしまう。フミフミはこすることさえないという。根本に慎重なのであろう。

 

そして、どうしようもない、もらい事故とか言われる、突っ込まれたとか、飛び出しとか。これは実は注意を払っているとかなり確率は下げられるんではと思う。それはそれは気のとおくなる作業だと思う。ん?と思ったら減速。見通しが悪ければ原則、確認。ともかくめんどくさい。めんどくさいことは人はスキップしがちである。

 

めんどくさくてもスキップしない。これは丁寧に仕事する、にすごく通じる。僕が丁寧に仕事をしようと試みたところ、ともかくめんどくさいことが多い。つまりは今までめんどくさいことを無意識と意識の間でスキップしてしまっていたのだ。何度かのリテイクでブラウザ検証をスキップしIE11だけ崩れるとか、二度の確認を怠ったために修正しきれてないとか。

 

車の運転に表れている丁寧で正確ということは日本のサラリーマンの働きかたにうってつけだ。会社でも20分早く仕事が終わる人よりも、20分遅いが正確無比な人のほうが重宝され、信頼も厚い。良くも悪くも我々サラリーマンの仕事で20分多くかかるなんて誤差だ。

 

それでも最後の「運」としか説明できないものに関しては私もよくわからない。星の元、とかいうけど、生まれ持った性質と技術と第六感的なものがあるのかもしれない。どう考えても避けきれない事故はこの世にある。

 

僕の結論は、事故りたくなければ車を運転しなければいい、ということだ。近くの距離はなるべく自転車で行くようにしている。

 

これを仕事にあてはめると、仕事でミスしたくなければ仕事しなければいいということになる。確かにワイは働かないで生きていけるなら一番いいと思っているので、私の性質をよく表しているのかもしれない。