日々記憶伍番地

ただの日記です。誤字脱字多いです。スンマヘン。

世の中に閉塞感を感じると話して回った結果、夫婦喧嘩になった

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世の中に閉塞感を感じている。

 

そもそも、この言い方がまずいのかもしれない。今後に不安を感じている。という方が正確なのかもしれない。正直、今は仕事をして家に帰れば娘の相手、家事をしていると、あっという間に寝る時間になる。そんな中、自分のスキルは大停滞している。このままではまずい。具体的にはそんな感じ。しかし、スキルが停滞することは会社から必要されなくなること。その程度のスキルでは会社を離れて生活するなど到底不可能、そもそも、会社にいても年収アップは今のところ望めず、むしろ下がる要素は多い気もする。そして日本は経済的にもうまく行っていなく増税は不可避。下がる手取り。恒例少子化。格差。貧困。海外諸事情。そんなことも連想ゲームのようにつながり、悶々としていて、年末からあった人に、世の中に閉塞感ない?みたいなことを聞いて回っていた。

 

友達の奥さんとライーンで閉塞感についてやり取りしていた。

昔、夫婦間でスマホを見るなんて考えられない、のような、見たら重罪のようなはなしがよく会った気がするが、ウチはおたがい、どちらのスマホを見ても特に何も言うことはなかった。別にやましいことはないし、せいぜいエロい画像とか動画とかが見つかるくらいだろう。しかし、どこまで見られたかわからないが友達の奥さん、こちらもまあ、結婚する前から友達と言えば友達なのだが、世の中の話をライーンしていたら向こうがなんか批判的なことしかいわないから、イライラして、その時はちょっとイラッとするなー、位でまあ、あること、と寝た。

 

そのライーンのやり取りをみられたっぽい

すると、しばらくして妻の方から閉塞感について聞いてきた。で、思っていることを話すと、妻は想像がつかない世界だ。私は今の生活に満足している。まるで、今の生活に満足してはいけないといわれたいる気がする。みたいなことをのたまう。それは、まあ、正解かもしれないが、別に妻に年収をアップさせろと言っても難しいだろうし、別にそれは望んでいない。そして、他の人と結婚したら的なことを言うので言い合いになり、なんで閉塞感のこときくの?と問うと前述の友達の奥さんとのライーンを見て気になったらしい。どこまで見たかは追求しなかったが、妻は世の中より仕事の事をちゃんとしたら、あなたの悩みは解決するよ、と言った。私はお前が言うなよ、と思いながら、まあ、それも外れてはいなかったので、うん、といい。社会人向けのプログラミングの学校に行きたいと思っている。と話して寝ることになった。ともかく、眠くて仕方なかった。

 

何故、妻と友達の奥さんの話が腑におちなかったか

ふたりが共通にもっていたのは、世の中のことを知ってその閉塞感の原因を知っても仕方ない理論だった。私はこれに否定も肯定も出来ず、でもそれを知ったほうがいいと思うけど知ったほうがいい理由もわからないという感じだった。実際、年末年始はブログなどを読み漁りすぎて、こんなの読み漁っても一ミリも好転しないよな。。。と思って、情報を制限したほうがいいかも。と思ったりした。まあ、結果情報はある程度制限しているというか、興味あることも読まなきゃ!じゃなくて斜め読みにするとか、一日おいて興味がなくなったらもう読まないとかしている。

 

しかし、そのふたりが共通に持っていた仕方ない理論が腑に落ちない理由が書いてあるブログを読んだ。ああ、これだ。と思った。このメロンダウトの人の考察はいつもするどいなー、と思う。

 

plagmaticjam.hatenablog.com

 

この記事というより後半の

そうしてすべての価値は比較することすらされず、ゆえにそこには相対もない。ゆえに相対化の対象を見つける冒険心が生まれようもない。そして相対化なしに正義は生まれない。

日本人はこうした純粋さや勇敢さや「ものごとをもっと知りたい」という冒険心をまったく失っていて、自分たちの世界の狭さを感じるときがあっても「まあ仕方ないや」と自分を慰めるだけで終わる。

 

今年一番うなづいた記事だった。

最後にオルテガの言葉をひいて終わりたいと思う。現代日本の無謬性のことを予言しているようでならない。

 世間とは意見を持とうと努力しないものたちの意見の集まりである

 

特にここらへん納得というか、全部納得なのだが、私は友達の奥さんのやり取りの中で、友奥は閉塞感は感じるけど、原因を知ることの意味がわからない→私は時間とお金に不満をかんじるから、ベーシックインカムの導入とか賛成→今のところやらないし、日本じゃ無理じゃない?→終わり。そんな感じだった。このブログで言うところの

 

インターネットでもなんでもそうだが価値を決定して立場を決めてその立場から発言することを無謬性によってぶった切るのは現実にもネットにもありとあらゆるところであふれかえっている。

 

ということに近いのではないかと思っている。友達の奥さんは自分の立場を明確にしていないし、現状できないことは否定的。それでは現状出来ないことはすべて考えても無駄、ということになる。進歩は生まれない。

 

相手を選んで話すことにしようと思った

妻も友達の奥さんに思考は似ている。共感できないと言う。言い合いになった翌日、しばらく険悪な雰囲気が続くんだろうな、とゲンナリしていると妻は割合に機嫌がよく、よくわからなかった。私は何か、喉に小骨が刺さったままの感じだった。

 

結論から言うと、誰にでも話すのは良くないなと思った。あ、ダメだ、私の話、通じないやと思った時点で話題を変えるとかした方がいい。それが誰でも。

 

実は、友達の奥さんのこの友達が付き合いが長い友達で、この友達は閉塞感の理由は「なんかみんな、twitterとかでギスギスしすぎでしょー」というものだった。最初はいやーと笑っていたけど、一周して、この

無謬性によってぶった切る

に近く、実は的を得ていたのかもしれない、と思った。

 

(45分くらいかかった)