娘の753の写真に老害の片鱗を見た
この間、娘の七五三の写真を前撮りしたんですよ。前撮りというのは実際神社で撮るのは着物で神社に行くのが大変だし、天気に左右されるし、着物の写真はスタジオで別日で撮るのがなんか今の「普通」みたいなのです。妻に任せましたが、結構贅沢な選択だと思います。本末転倒感も若干あります。でも、娘の写真をきれいに撮ってもらうのはいいことだと思い、納得していたのです。
実際、撮ってもらった写真は綺麗で娘がそれはそれはかわゆーくうつってました。スタッフの人の対応も良いうえに、子供のいい表情を引き出そうとがんばってくれます。スタジオも工夫を凝らしてあって素晴らしかったのです。
撮ってもらったのはライフスタジオというところです。そこに作品例みたいなのがあるんですが、この写真どう思います?
可愛くない?
葉っぱをエフェクトっぽく使って柔らかい印象を与えてよくない?
娘の写真もふんだんにこんなテクニックを使って可愛く撮られてたわけですよ。これは、娘大好きな義理の父母も喜ぶだろうと後日見せると、反応は全く逆。
「頭が切れてる!これはプロが撮ったの?下手だなあ」
頭が切れてるという理由で全否定なのですよ。義理母に至っては私はセンスないけど義理父は結構構図とるのうまいのよなんて言い出す始末ですよ。ふたりともズブズブの素人です。ハイ。
視野が狭いというか、固定観念を外せないんでしょうね。どんなにいい写真でも頭が切れてたらダメなんです。彼らの中では。
しかし、これは結構あるあるみたいで頭が切れてたらダメという観念は根強くあるみたいで、ネットで見てみるとそれで揉める例も結構見ました。
頭が切れてたら悪い訳ねえだろドアホが!!!!!!
しかし、そんな個人的な感想は一回、置いといて、一応、できないデザイナーなりに商売としての感覚は理解しているのです。例えばマスに訴えるのであれば、このじいばあのような感覚を持った人を納得させないといけないわけで、おそらく、おそらくですけどスタジオアリスなんかは頭を切らないと思うのです。ターゲットによるのですが、そんなデータは間違いなく持ってるはずなので。それでジイバア含めた家族が全員かわいいねーという写真を作るのです。構図がどうのというより、衣装がかわいいかとか子供表情はいいかとかしか見てないと思います。
私も昔、紙のデザイナーのころ、銀行のチラシを作るときにイラストを頼まれ、テイストにあっていようがいまいが見る角度がどうのとかどうでもいいからとにかく手の指はきっちり5本書いてくれ、と言われたのを思い出します。やくざにみられるから、という理由ときかされ、そんなこともあるんだ。と深くは考えませんでしたが、イラストはxxxxをパクった主婦で、やくざもなにもないだろう、ともおもいますし、ミッキーは指4本だしな、と思います。しかし、クレームやトラブルを避けるためには不自然でも指を5本書くのがベターなのです。
今はそんなことはない(と信じたい)と思いますが、古臭い風習だよなーと思います。
好き嫌いといえばそこまでなのですが、「頭が切れている」という理由で他は見ずに全否定してしまう姿勢が違和感がありすぎなのです。頭が切れていたらよくない写真である理由を論理的に説明せよ、というとできないのです。偏見に近くないですか。あいつは部落出身だからだめだ、というような理不尽な理由に感じてならないのです。
そんなことを思った七五三の写真でした。
後日、兄にこんな愚痴った感じのメールをしたら老害はいいすぎやなとたしなめられました。
下の写真は有村架純です。私は別段有村架純を好きではないんですが、この写真が姑息でいいなあと思ったので貼りました。ジェラシーを駆り立てる構図ではないですか?